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2011年8月30日火曜日

挙党態勢の確立をめざして
- 千葉県初の総理誕生へ -
 8 月 29 日、野田佳彦民主党代表が誕生した。
 政権交代以来 2 年、すでに 3 人目の代表であるが、 3 度目の正直、今日の困難なわが国の置かれた状況を乗り越えて行く機会にしていきたい。これまで、試行錯誤の繰り返しの中で信頼を勝ち得ることの出来なかった民主党政権であるが、是非これを立て直し、しっかりと使命を果たすべき時だ。

 6月2日の菅総理退陣表明の前後から、私は志を同じくする仲間と共にメロスネットを組織し、こうした使命を果たすにふさわしい次期リーダーを誕生させるべく模索してきた。特定の個人をあらかじめ想定するのではなく、挙党態勢の確立を実現する上で最善の選択とは何か、国民が政権交代に託した期待を実現する道筋を示せるのは誰か、その問題意識をもって。手を挙げられた次期リーダー候補のお一人お一人と懇談を重ねつつ、それぞれ認識を深めてきた。 29 日の代表選は、その成果としての選択でもあった。

 今回の代表選では、これまでの党内事情を鑑みて、対立と排除の論理を避けるべしとの多くの議員の意思が感じられた。内外の状況を受けて選挙戦は短期間であり、しかも立候補者が最終的に5人と多極化したこともあり、少なくともこれまでのような対立激化の構図にはならなかった。
 復興、原発、そして世界的な経済危機。待ったなし、後のないわが国の状況、そしてわが民主党政権、ここからどのように新たな道筋を切り開いて行くべきか。とにかく今はすべての世代が協力し合い、挙党態勢で救国内閣を作っていくことだ。次の世代の民主党の脈々とした流れを整えていく一幕でもある。

 ともかくも本日 30 日、野田佳彦総理が誕生した。憲政史上初の千葉県からの議員総理である。しかも県内では日々、深い交流のある隣接選挙区の重鎮であることも頼もしく、喜ばしい。身長 173cm 、体重 79kg 、しかも戌年とか。キャリアはよほど先輩であるが、今回知った思いがけない共通点も少なくない。大いに期待するとともに、同志の一人として共に精一杯、自分の持ち場で力を振るって行きたいと改めて考えている。

2011年8月11日木曜日

来たるべき代表選に向けて
- メロスネット・中間報告 -

 8 月 10 日、7回目のメロスネットの会を開催し , 小沢鋭仁衆議院議員の話を聞きました。折しも昨日、菅総理の退陣表明があり、今月中にも代表選が行われることになりました。メロスネットでは、6月以来、安住、玄葉、野田、前原、馬淵、鹿野衆議院議員から教えを賜り、また政府と党の未来について意見交換を重ねてきました。諸先生には忙しい中、時間を割いて頂き、時には少々の杯も交わしつつ有意義な時間を過ごさせて頂きましたこと、感謝に堪えません。そして、お話を聞かせていただきたい次世代リーダー達はさらに何人もいらっしゃるわけですが、これまでの中間報告をすべき段階に到ったと思います。

 さる3月11日の東日本大震災以来、その復旧・復興が最大の政治課題となりました。私は与党に属する議員の一人として、これを最大の使命と信じ、東北をはじめとする被災地に繁く足を運ぶとともに、国土交通委員会理事として、また、党政策調査会副会長として、とにかく与えられた立場でそのために精力を注いできました。かつて防災都市計画の仕事に従事した経験を生かす時でもあると考えてきました。
 しかるに、被災地の復旧復興がいよいよ本格化しようと言う5月末、現政権に対する野党からの不信任案提出の動きが大きくなり、現内閣の政権運営に批判の声もあった党内からも同調する声が出てきました。
 しかし、このような時期に政局に費やす余裕はあるのだろうか。党を分裂させかねないこうした動きを憂慮する仲間は少なくありませんでした。そこで、有志を募り、 56 名連署名の上、党執行部に要望書を提出しました。その内容は総理退陣により自ら政権を刷新して今日の事態を回避すること、挙党態勢を確立し、民主党を中心とする政権を再確立して、国民の信を負うに足る方向に発展させることを求めたものです。
 翌日6月2日、不信任案提出の本会議直前に、要求通り、代議士会に総理が出席し、早期退陣を約束するに至り、とりあえず事態は収束しました。こうした経緯に到るには外にも多くの要因があったと考えますが、ともかくも民主党は自らの復元力を回復、求心力を発揮し、党が分裂し、政権が内部から崩壊することを回避することとなりました。
 この仲間達を中心にメロスネットを立ち上げ、今日に至りましたが、改めて申し上げたいことは、私たちは党の存続だけを目的化しているわけではなく、新たな党内党をめざすつもりもありません。ただ、はじめての政権運営の中で露呈した経験の浅さと試行錯誤の結果を単に否定的に評価するのではなく、小異を乗り越え、大同を求める中から本格的な政権を確立し、わが国の復興を成し遂げて行くことが使命であると信じます。政権交代に期待を寄せ、新たな民主党を中心とした政権樹立に一度は結集して下さったすべての国民の期待を裏切るわけには参りません。
 6月以来、メロスネットは7回にわたる対話集会の開催を通じ、自らの自覚と認識を深めると同時に、執行部に早期の政権刷新を促し続けてきたつもりです。リーダー交代を菅総理自ら約束した以上、われわれ自らが主体的に次のリーダーを選ぶことが求められていることは自明のことであり、国民により課された使命でもあります。
 今、わが国は東日本大震災、そして昨今の世界的な金融不安による内外の危機に直面しています。政権交代以来くすぶり続け、昨年9月の代表選により表面化し時として噴出する不信と排除の構造を乗り越え、これまでの経緯を奇禍として本格的な政権を実現に向け、いよいよ改めて一歩を踏み出す時がきたことを確信する次第です。
 すでに複数の方々が名乗りを上げています。今回の代表選は百花繚乱、大いに議論を戦わせながら最良の選択をし、民主党らしい本格政権を確立するチャンスです。今後、メロスネットもそのためにさらに仲間を募り、議論を重ね、行動していく所存です。よろしくお願いします。

         衆議院議員  若井 やすひこ

2011年8月10日水曜日


「子ども手当」存続します。

内容は、こちら を参照(PDFファイル)。

2011年8月5日金曜日

放射能に正しく対処する

■ 拡散した放射能 100 京ベクレル
 3月 11 日、福島第一原発は大地震と巨大津波で破損、電源も喪失して水素爆発を起こし、大量の放射性物質を大気中に撒き散らして、国土を汚染しました。現在、大気中の放出はほとんど止まっており、今日の汚染は当初の爆発で放出され、風に乗って拡散、雨と共に降り注いだ放射性物質によるものです。
 その後、早い時期に測定がなされ、 0.5 μ Sv (マイクロシーベルト)と、外と較べて数値がいくらか高かった柏、我孫子、流山等がホットスポットと報じられ、周辺住民の不安が高まり、地域の農産物の風評被害も生じています。 3 月 21 日の風の流れ、降雨状況が分布を決めたと言われていますが、 200km 圏には測定が進むにつれて同程度のレベルのスポットが外にもたくさんでてきており、特にこうした地域だけが例外ではありません。
 ちなみに千葉 13 区内では、6月に印西市がかなり詳しく測定を行いましたが、 0.1 ? 0.4 μ Sv (マイクロシーベルト)、年間に換算すると 0.876 ? 3.504mSv (ミリシーベルト)となっています。
■ 拡放射線による人体への影響を避けるために
 こうした中、心配されるのが放射線による人体への影響です。たしかに強い放射線を浴び続ければ生命を脅かし、またDNAを破壊してガンの発症を引き起こす危険性があることは事実です。外部からの被爆だけでなく、呼吸や食事等による内部被爆も懸念されます。 牛肉の汚染や米の検査など、心配の種はつきません。しばらくの間は用心に越したことはありませんが、 安全の 目安は生涯 100mSv 、年1 mSv と言われており、先の値をみると、これをいくらか越える地域もありますが、はるかにかけ離れていると言う水準ではありません。 過度の心配をするよりも、できることをしながら身を守って頂きたいと思います。強い風の日はマスクをする、吹きだまりの草むらや流水たまりの泥には用心し、除却する、明らかに汚染度の高いことが明白な食材は避ける、等です。
■ まず検査と測定、次に情報開示、そして除染の必要
 過度の不安を除き、適正な選択をするためには客観的な判断の根拠となる情報が必要、まずは正確な、検査・測定を進めるために全力を注ぎます。ようやくきめの細かい測定が可能な体制が整いつつあります。例えば白井市では 7 月 27 日に特産品の梨について検査の結果が公表され、無検出、すなわち安全であることが明らかになりました。米の放射性物質についての検査も始まります。
 そして、次の段階は本格的な除染の開始です。飛散した 100 京ベクレルの放射性物質の微粒子の 10 %程度が陸上に拡散していると言われていますが、これらを回収して遮蔽・貯蔵することを目標に技術的研究も進んでいます。
 私は衆院復興特別委員会の委員として、連日、復興問題の質疑に当たっていますが、8月3日には「原子力損害賠償支援機構法」が成立、引き続き「汚染土壌等と廃棄物の処理に関する特別措置法」制定をめざしています。これからもこの問題に取り組み、事態の改善を図ると共に、引き続き、みな様に情報提供に努めていく所存です。

2011年7月5日火曜日

復興土地利用の前提条件に関し、政府に提言
 
 
 
 7月3日、6回目の東北視察。宮古市から八戸市まで一日かけて走った。大震災後 100 日余り、ようやく被災地域をひと通り歩いたことになる。
 三ヶ月経って、まだまだ痛々しい被災の跡が目立つものの、大津波の爪痕もかなり癒え、復興の兆しが見えてきたように感じる。宮古の市街地と言えば、長大な堤防を乗越えてどっと流れ込んだ黒い海水が、市役所前の国道の歩道橋の下をクルマを巻き込みながら濁流となって奔る、そんな情景が眼に焼き付いている。しかし今は、沿道の建物群に被災の跡が生々しく残るものの、ガレキもほぼ片付いて、幹線道路は普通にクルマの列も出来ている。まだまだ復興には様々な困難が残されているはずだが、あちこちで建物の修繕も始まっていて、さあ、これからだと言う地元の人々の心意気が伝わってくる景色だ。
 重茂半島 姉吉地区を訪ねた。 1933 年の昭和三陸大津波の後、ここに集落移転した先人達が海抜約 60m の場所に石碑を建て、再び被災しないよう子孫に警告している。今回の津波もこの石碑のすぐ下まで押し寄せて止まった。浜からそこまで山肌は削り取られ、岩肌がむき出しになってその激しさが想像される。坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。重茂の本村はより大きな集落だが、漁協センター等の施設もろとも、やはり高地に移転している。子孫を守った先人の知恵と決断、実行力に脱帽。こうした先例にぜひ学びたい。
 巨大な防波堤で有名な田老地区は大堤防のみを残してすべて破壊された。被害は甚大であり、ガレキ等はほとんどなくなったものの、マチを同じ形に復旧することは考えられないことだろう。
 ここから青森県八戸市までどの地区も被災しているが、その程度がいくらか小さいように感じられるのは、県南に較べて相対的に津波の規模が小さかったのと、どこも巨大な防潮堤を備えていて、一定の防災効果を発揮したこともありそうだ。
 そのため復旧はより進んでいるように感じられるが、とにかくそのペースを少しでも早めていきたいと思う。
 今日5日、松本復興相が舌禍により辞任。2日夜の新幹線の移動の車中で大臣と遭遇。復興のありかたに関してしばし意見を交わした直後のことであり驚いた。ともかくも僅か9日での辞任は残念である。
 本日、政府に対し、ビジョンチームとして復興土地利用の前提条件整理に関する提言を行った(民主党 HP 参照(別画面が開きます))。引き続き、土地利用再編について提言すべく、作業を進めたい。

2011年6月27日月曜日


大震災に備える

 
 東日本大震災の発生以来 100 日余りがたちました。これまでご報告してきた通り、私は与党の復興ビジョンチームのメンバーとして,また以前から防災都市計画に携わってきた立場から、この間被災地の復旧・復興に取組んで来ました。去る6月 20 日には復興特別委員会の一人として関わってきた「大震災復興基本法」が可決成立しました。じれったいほどのペースですが広域かつ多面的な被災の状況から無理からぬ面もあります。国会では引き続き復興特区の具体化など特別措置法の検討を始めており、今後、本格的な復興が加速させなければなりません。

 大震災発生以来、東北の被災地にしばしば足を運んでいます。6月上旬に訪れた牡鹿半島は最も深刻な被災を受けた地域のひとつ、半島の拠点、女川市街地は破壊されたまま、かなりの部分が水没しています。先端の鮎川まで石巻からクルマで一時間ほどの道筋、半島のせいか復旧のペースは遅滞しており、繰り返す浜と言う浜、どこも津波で本当に徹底的な破壊を被っています。かつての美しい浜の連なりはすっかりその面影を失っていますが、高いところからふと見ると、ガレキの広がる平地を隔てた湾に漁船がいくつも浮かび、整然と舳先を並べてすでに漁に勤しんでいます。まさに不屈の漁師魂、復興へ向けて自立への強い意志を感じる風景が広がり始めていました。

 さて、千葉県の問題ですが、今回の大震災を人ごととせず、来るべき首都直下地震に備えるべき時です。地球の歴史を見れば、巨大地震は往々にして兄弟地震を伴っています。わが国においては 150 年ほど前の安政の時代に東海、東南海と江戸の大地震が,また太平洋戦争末期には東南海、三河、南海地震が続いて起き、多大な被害を被りました。世界的には、最近では 2004 年 12 月26 日 、 インドネシア で起き Mw9.1 のスマトラ島沖地震から4ヶ月後、 2005 年 3 月28 日 、約 250km 離れた震源で Mw8.6 の地震が発生したことも忘れられません。
 わが千葉県も今回、津波や液状化等、大きな被害を被り、印旛地域でも利根川沿岸や印旛沼周辺等で液状化が起きました。かつて、元禄の大地震の際、九十九里浜等で、津波により六千人余の人命が失われたこともあります。近い将来,首都圏直下型や首都圏北部等で大地震の起きることが危惧されています。かつてとは異なり、密集市街地も広がっています。この機会に今回の災害に学びつつ危機管理を徹底し、地域で暮らすみなさんと共に危険をチェックし、しっかりと備えを充実して行かねばなりません。

2011年6月9日木曜日


本日、「東日本大震災復興基本法」が復興特別委で可決

 
 本日、「東日本大震災復興基本法」が復興特別委で可決され、明日、衆議院を通過する。来週中には参議院でも可決され、成立する見通し。
 先週末、不信任案提出で一時滞ったものの、3週間に渡ってほぼ連日、集中的に審議してきた。ようやく野党との調整も整い、民自公の支持のもと、最終案を委員長提案と言う形で可決(反対は共産、みんな)した。
 本法をベースに本格的な体勢が整い、被災地域における復興が加速することを心から期待する。
 この間、毎週、東北に通っている。自分の目で現地の様子をしっかり見ることから取組を始めたい。やはり実際見てみないと発想がどこか中に浮いた感じで自信が持てない。フィールドをまず大事にする、それが地域づくりの原点と信じ、議員になる前からずっと続けてきた。被災地を見て回るのは確かに気が重いが、だから一層、フットワークを効かせて、言わば通い詰めてきた。今は地名を聞けばかなり細かな地域の情景が浮かび、復活に向けての意欲をいくらかでも共有できるようになった気がする。
 去る6、7日、国土交通委員会で被災地の視察。
 前回からひと月経過し、駅跡から見下ろす南三陸町は、ずいぶん乾いてきているように感じられる。だが、いくらか減りはしたものの、相変わらず見渡す限りガレキの山で、人の気配が感じられない不思議な世界にいるような感覚に襲われる。とにかく避難している住民のみなさんと共に早く復興に取りかからねばならない。
 仙台港周辺は生魚が腐敗しているのか異臭がきつい。破壊された大型コンテナが所狭しと並べられて、ガントリークレーンも足元から塩に漬かったため使えない。間もなく暑い季節がやってくる。港の機能回復や清掃を急ぐ必要がある。野党の理事諸議員といくつかの風景を共有し共通意見の交換も出来た。
 今国会も残すところ会期はあとわずか。政府においては復興構想会議において復興のあり方の検討が進んでいるが、私は党の復興ビジョンチームを通じて提言すべく、全力を注いで行きたい。