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2011年12月31日土曜日

2011年以前の活動報告は、
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2011年12月30日金曜日




社会保障と税の一体改革・党素案を決定
 29日、民主党税制調査会・社会保障と税の一体改革調査会合同会議は税制抜本改革案を決定した。
 連日続いた総会では、消費税は国民の暮らしに直結する課題だけに、これまでも多くの問題が提起されてきたが、29日も約120人の国会議員が参加、インドから帰国した総理も加わり、一体改革にかける決意を訴えた。約9時間の激論の後、消費税率を2014年4月に8%、1510月に10%とする案が了承された。
 また、2009マニフェストに従い、税率引き上げは2014年からとし、その前提として議員定数削減や公務員定数削減などの政治改革、行政改革の実現、経済動向への配慮等の景気条項、低所得層の「逆進性」対策として消費税相当額を所得税額から引いたり、現金で渡す「給付付き税額控除」導入を盛り込んだ。
 本日30日には政府税調が開かれ、この民主党案を基に政府・与党の一体改革素案づくりが進められる

衆議院議員  若井 やすひこ

2011年12月29日木曜日

消費税とマニフェスト
 
 
 2011年も残すところあと三日。未だ、消費税について論議が続いている。私は税調副会長のひとりとして連日、その論議に加わってきた。そのため、例年楽しみに顔を出してきた餅つきにも、結局、参加できずに終わった。地元の多くの支援者のみなさんへのご挨拶廻りも失礼している。
消費税についてはいろいろな議論がある。誰しも税は安い方がいい。だが社会保障高齢者関連3経費だけでも9兆円以上が不足する現状を見れば、安定財源を確保するため消費税引き上げは有力であり、そのこと自体を否定する議員は多くはない。有権者からもそうした声を少なからず聞く。
これまでのように財源は国債発行で賄うべしとの意見もある。わが国の国債はギリシャ等とは異なりほとんどが内国債であり、容易には暴落しないと考えるが、一方、毎年20兆円以上の欠損が続いている今日の財政状況をいつまでも続けられるとも思えない。
にもかかわらず、2009年のマニフェストで民主党は、与えられた任期中には消費税は上げないことを約束した。議論が集中するひとつのはこの点である。今、消費税について論じるのはマニフェストに違反していると言うわけだ。
必要なのになぜ上げないと約束したのか。私はこう考えている。言うまでもなく、引き上げの前にやるべきことがある、そのための時間だと言うことだ。すなわち、ムダを省く、行政改革、政治改革、社会保障を立て直す。そして何よりも景気回復と新たな経済成長の実現(成長戦略)。総選挙後、2年半近く経った。残すところ、永くて一年半。率直に言ってこれら諸改革は道半ばである。この間、東日本大震災や欧米の経済危機もあった。だが言い訳にはならない。残された時間にまずこれらの改革に全力を注ぐべき時だ。
慎重論の根拠はここにある。その通りだと思う。だが、だからといって、早晩考えなければならない引き上げについて準備をしないままでいいとはならない。法律が成立しても現実に税引き上げまでには一年はかかる。4年経って任期が終わる時、そのための準備が全くできておらず、そこから改めて新たな政権が条件整備を始めろというのではあまりに無責任な話だ。
消費税を口実に離党者まで出たが、私は消費税引き上げの是非を巡って党が二分されていると考えてはいない。どんな準備しておくべきか。連日、白熱した議論が続いてきたが、その議論が続く中、多くの点でほぼ共通の問題意識が共有されてきているように感じる。引き上げの前提としてのムダの削減、具体的には政治改革と行財政の改革、景気回復と経済成長の実現、実施した場合の低所得層への逆進性の克服等々。
内には東日本大震災と原発事故、外には欧州の経済危機。この困難な状況のまっただ中にあって、国民の暮らしを支える待ったなしの社会保障改革を実現する。2年前に政権交代を通じて託され、未だ途上にある民主党政治の使命を、今こそ前進させることが求められている。
今日の総会で、結論に至ることを期待する。
衆議院議員  若井 やすひこ

2011年11月29日火曜日

北千葉道路全面供用へ一歩!
- 前田国土交通大臣に事業化要請 -
 11月28日、生方民主党千葉県連代表、地元自治体首長、県関係者と共に前田国土交通大臣に会い、北千葉道路(鎌ヶ谷市、松戸市及び市川市区間)の早期着工に向けて直接、要請を行いました。
   北千葉道路は昭和44年度の都市計画決定以来、ニュータウン区域以外では40年以上実現されず、千葉ニュータウン~成田区間は平成17年度に着工されたものの、鎌ヶ谷市以西の約10kmは塩漬けのままになっていました。

  この道路は、成田国際空港へのアクセスを確保し、千葉ニュータウンをはじめとする北総・東葛地域の骨格を確立する上で欠くことの出来ない最重要道路です。さらに、予想される首都直下型大地震などの災害時において、湾岸都市連担地域への救援・復旧のレスキュー・ゾーンを確保する上で地域のみならず千葉県、首都圏にとって整備の急がれる最重要課題のひとつです。

 一昨年、国会へ復帰させて頂いて以来、私は与党の立場に立って、この北千葉道路の具体化に向けて取組んできましたが、この程、国、県、鎌ヶ谷、市川及び松戸三市による協議会が立ち上げられる運びとなりました。

  平成27年度には東京外郭環状道路が全面供用される予定です。外環は北千葉道路の東京都心や各高速自動車道への連絡のための受け皿であり、これに合わせて、本事業を具体化すべく本路線の都市計画決定の改定を進めてまいります。

  今後も引き続き、事業化を進めるために努力を続けていく所存ですので、よろしくお願いします。


衆議院議員  若井 やすひこ

2011年9月30日金曜日

9月30日、第178回臨時国会が閉幕
- 復興財源をどう担保するか -
 本日、第178回臨時国会が閉幕した。去る9月13日にスタートした野田内閣として初めての国会は、新総理の所信表明の後、会期延長による両院での予算委員会における一般質疑を経て30日に閉会した。
 10月下旬には改めて11年度第3次補正予算や12年度予算などの本格的な審議が始まる見通し。
 私は今国会、衆議院予算委員会の理事を務めることとなった。与党理事の一人として如何に予算委を運営していくか、はじめての有意義な経験だった。同時に、これまでの国土交通委員会、震災復興特別委員会委員は引き続き務める。
 一方、党においては企業団体交流委員会の委員長代理に就任した。ただ、それ自体の活動よりも当該委員会から副会長として参加した党税制調査会で、この国会期間中、重い責任と、連日続いた熱い議論に改めて眼の醒める時間を過ごした。
 復興財源確保の方途として増税の是非、税外収入の可能性、景気に及ぼす影響など、党を挙げての喧々諤々の議論の末に、集中復興の5年間に必要な予算19兆円のうち2次補正などを除いた部分11.2兆円を、法人税、所得税及びたばこ税など、10年時限の増税による国民負担をお願いする方向で党と政府の合意が成立したが、次期国会でさらにその具体化が図られる。
 この間、わが国を取り巻く世界の経済状況は、欧州経済危機を引き金に急速に深刻さを増している。急遽、明日から財政破綻の実態を調査すべくギリシャへ委員会から派遣されることとなった。帰国後まもなく開かれる次期国会では東日本の復興とわが国の経済の立て直し向けて邁進する所存です。

2011年9月13日火曜日

本日9月13日、第178回国会開会
- 予算委員会理事として取組む -
 本日 13 日より第 178 回国会開会。天皇陛下ご臨席の下、開会式が行われ、続いて総理の所信表明演説があった。会期は 9 月 16 日までの4日間。一旦閉じて、十月から第 179 回国会が始まり、 3 次補正等について本格的な議論が行われる。この間、国会は閉会となるが、緊急課題の多い予算委、復興特委は閉会中も随時開かれる予定。

 今国会において、私、若井やすひこはこれまで通り、国土交通委員会、東日本大震災復興特別委員会に所属すると共に、新たに予算委員会理事を拝命した。はじめての予算委、今後の行く末を左右する重要課題も多い。身が引き締まる。

 いよいよ、野田新内閣の船出である。政権交代後2年、これまで繰り返してきた試行錯誤はもう許されない。背水の陣、民主党政権としての成果をしっかり形にして行くべき時である。全力で取組む。

2011年9月12日月曜日


次期国会より、
・予算委員会 理事
・国土交通委員会 委員
・東日本大震災復興特別委員会 委員
となることが内定しました。
 予算委員会については、まずは「第3次補正予算」が目下の焦点となります。
 理事は、委員会の運営を決する立場にあると同時に、被災地への予算付けという 重責を担います。引き続き、気を引き締めて頑張って参ります。

 国土交通委員会と東日本大震災復興特別委員会は、従前の国会より理事・委員として 加わっています。技術士という資格を活かし、今後も災害復興はもちろん、人口減少下での最適なまちづくりなどに取り組んで参ります

 また、党務として
・民主党企業団体対策委員会 委員長代理
・民主党税制調査会 副会長
となることが内定しました。

2011年8月30日火曜日

挙党態勢の確立をめざして
- 千葉県初の総理誕生へ -
 8 月 29 日、野田佳彦民主党代表が誕生した。
 政権交代以来 2 年、すでに 3 人目の代表であるが、 3 度目の正直、今日の困難なわが国の置かれた状況を乗り越えて行く機会にしていきたい。これまで、試行錯誤の繰り返しの中で信頼を勝ち得ることの出来なかった民主党政権であるが、是非これを立て直し、しっかりと使命を果たすべき時だ。

 6月2日の菅総理退陣表明の前後から、私は志を同じくする仲間と共にメロスネットを組織し、こうした使命を果たすにふさわしい次期リーダーを誕生させるべく模索してきた。特定の個人をあらかじめ想定するのではなく、挙党態勢の確立を実現する上で最善の選択とは何か、国民が政権交代に託した期待を実現する道筋を示せるのは誰か、その問題意識をもって。手を挙げられた次期リーダー候補のお一人お一人と懇談を重ねつつ、それぞれ認識を深めてきた。 29 日の代表選は、その成果としての選択でもあった。

 今回の代表選では、これまでの党内事情を鑑みて、対立と排除の論理を避けるべしとの多くの議員の意思が感じられた。内外の状況を受けて選挙戦は短期間であり、しかも立候補者が最終的に5人と多極化したこともあり、少なくともこれまでのような対立激化の構図にはならなかった。
 復興、原発、そして世界的な経済危機。待ったなし、後のないわが国の状況、そしてわが民主党政権、ここからどのように新たな道筋を切り開いて行くべきか。とにかく今はすべての世代が協力し合い、挙党態勢で救国内閣を作っていくことだ。次の世代の民主党の脈々とした流れを整えていく一幕でもある。

 ともかくも本日 30 日、野田佳彦総理が誕生した。憲政史上初の千葉県からの議員総理である。しかも県内では日々、深い交流のある隣接選挙区の重鎮であることも頼もしく、喜ばしい。身長 173cm 、体重 79kg 、しかも戌年とか。キャリアはよほど先輩であるが、今回知った思いがけない共通点も少なくない。大いに期待するとともに、同志の一人として共に精一杯、自分の持ち場で力を振るって行きたいと改めて考えている。

2011年8月11日木曜日

来たるべき代表選に向けて
- メロスネット・中間報告 -

 8 月 10 日、7回目のメロスネットの会を開催し , 小沢鋭仁衆議院議員の話を聞きました。折しも昨日、菅総理の退陣表明があり、今月中にも代表選が行われることになりました。メロスネットでは、6月以来、安住、玄葉、野田、前原、馬淵、鹿野衆議院議員から教えを賜り、また政府と党の未来について意見交換を重ねてきました。諸先生には忙しい中、時間を割いて頂き、時には少々の杯も交わしつつ有意義な時間を過ごさせて頂きましたこと、感謝に堪えません。そして、お話を聞かせていただきたい次世代リーダー達はさらに何人もいらっしゃるわけですが、これまでの中間報告をすべき段階に到ったと思います。

 さる3月11日の東日本大震災以来、その復旧・復興が最大の政治課題となりました。私は与党に属する議員の一人として、これを最大の使命と信じ、東北をはじめとする被災地に繁く足を運ぶとともに、国土交通委員会理事として、また、党政策調査会副会長として、とにかく与えられた立場でそのために精力を注いできました。かつて防災都市計画の仕事に従事した経験を生かす時でもあると考えてきました。
 しかるに、被災地の復旧復興がいよいよ本格化しようと言う5月末、現政権に対する野党からの不信任案提出の動きが大きくなり、現内閣の政権運営に批判の声もあった党内からも同調する声が出てきました。
 しかし、このような時期に政局に費やす余裕はあるのだろうか。党を分裂させかねないこうした動きを憂慮する仲間は少なくありませんでした。そこで、有志を募り、 56 名連署名の上、党執行部に要望書を提出しました。その内容は総理退陣により自ら政権を刷新して今日の事態を回避すること、挙党態勢を確立し、民主党を中心とする政権を再確立して、国民の信を負うに足る方向に発展させることを求めたものです。
 翌日6月2日、不信任案提出の本会議直前に、要求通り、代議士会に総理が出席し、早期退陣を約束するに至り、とりあえず事態は収束しました。こうした経緯に到るには外にも多くの要因があったと考えますが、ともかくも民主党は自らの復元力を回復、求心力を発揮し、党が分裂し、政権が内部から崩壊することを回避することとなりました。
 この仲間達を中心にメロスネットを立ち上げ、今日に至りましたが、改めて申し上げたいことは、私たちは党の存続だけを目的化しているわけではなく、新たな党内党をめざすつもりもありません。ただ、はじめての政権運営の中で露呈した経験の浅さと試行錯誤の結果を単に否定的に評価するのではなく、小異を乗り越え、大同を求める中から本格的な政権を確立し、わが国の復興を成し遂げて行くことが使命であると信じます。政権交代に期待を寄せ、新たな民主党を中心とした政権樹立に一度は結集して下さったすべての国民の期待を裏切るわけには参りません。
 6月以来、メロスネットは7回にわたる対話集会の開催を通じ、自らの自覚と認識を深めると同時に、執行部に早期の政権刷新を促し続けてきたつもりです。リーダー交代を菅総理自ら約束した以上、われわれ自らが主体的に次のリーダーを選ぶことが求められていることは自明のことであり、国民により課された使命でもあります。
 今、わが国は東日本大震災、そして昨今の世界的な金融不安による内外の危機に直面しています。政権交代以来くすぶり続け、昨年9月の代表選により表面化し時として噴出する不信と排除の構造を乗り越え、これまでの経緯を奇禍として本格的な政権を実現に向け、いよいよ改めて一歩を踏み出す時がきたことを確信する次第です。
 すでに複数の方々が名乗りを上げています。今回の代表選は百花繚乱、大いに議論を戦わせながら最良の選択をし、民主党らしい本格政権を確立するチャンスです。今後、メロスネットもそのためにさらに仲間を募り、議論を重ね、行動していく所存です。よろしくお願いします。

         衆議院議員  若井 やすひこ

2011年8月10日水曜日


「子ども手当」存続します。

内容は、こちら を参照(PDFファイル)。

2011年8月5日金曜日

放射能に正しく対処する

拡散した放射能 100 京ベクレル
 3月 11 日、福島第一原発は大地震と巨大津波で破損、電源も喪失して水素爆発を起こし、大量の放射性物質を大気中に撒き散らして、国土を汚染しました。現在、大気中の放出はほとんど止まっており、今日の汚染は当初の爆発で放出され、風に乗って拡散、雨と共に降り注いだ放射性物質によるものです。
 その後、早い時期に測定がなされ、 0.5 μ Sv (マイクロシーベルト)と、外と較べて数値がいくらか高かった柏、我孫子、流山等がホットスポットと報じられ、周辺住民の不安が高まり、地域の農産物の風評被害も生じています。 3 月 21 日の風の流れ、降雨状況が分布を決めたと言われていますが、 200km 圏には測定が進むにつれて同程度のレベルのスポットが外にもたくさんでてきており、特にこうした地域だけが例外ではありません。
 ちなみに千葉 13 区内では、6月に印西市がかなり詳しく測定を行いましたが、 0.1 ? 0.4 μ Sv (マイクロシーベルト)、年間に換算すると 0.876 ? 3.504mSv (ミリシーベルト)となっています。
拡放射線による人体への影響を避けるために
 こうした中、心配されるのが放射線による人体への影響です。たしかに強い放射線を浴び続ければ生命を脅かし、またDNAを破壊してガンの発症を引き起こす危険性があることは事実です。外部からの被爆だけでなく、呼吸や食事等による内部被爆も懸念されます。 牛肉の汚染や米の検査など、心配の種はつきません。しばらくの間は用心に越したことはありませんが、 安全の 目安は生涯 100mSv 、年1 mSv と言われており、先の値をみると、これをいくらか越える地域もありますが、はるかにかけ離れていると言う水準ではありません。 過度の心配をするよりも、できることをしながら身を守って頂きたいと思います。強い風の日はマスクをする、吹きだまりの草むらや流水たまりの泥には用心し、除却する、明らかに汚染度の高いことが明白な食材は避ける、等です。
まず検査と測定、次に情報開示、そして除染の必要
 過度の不安を除き、適正な選択をするためには客観的な判断の根拠となる情報が必要、まずは正確な、検査・測定を進めるために全力を注ぎます。ようやくきめの細かい測定が可能な体制が整いつつあります。例えば白井市では 7 月 27 日に特産品の梨について検査の結果が公表され、無検出、すなわち安全であることが明らかになりました。米の放射性物質についての検査も始まります。
 そして、次の段階は本格的な除染の開始です。飛散した 100 京ベクレルの放射性物質の微粒子の 10 %程度が陸上に拡散していると言われていますが、これらを回収して遮蔽・貯蔵することを目標に技術的研究も進んでいます。
 私は衆院復興特別委員会の委員として、連日、復興問題の質疑に当たっていますが、8月3日には「原子力損害賠償支援機構法」が成立、引き続き「汚染土壌等と廃棄物の処理に関する特別措置法」制定をめざしています。これからもこの問題に取り組み、事態の改善を図ると共に、引き続き、みな様に情報提供に努めていく所存です。

2011年7月5日火曜日

復興土地利用の前提条件に関し、政府に提言
 
 
 
 7月3日、6回目の東北視察。宮古市から八戸市まで一日かけて走った。大震災後 100 日余り、ようやく被災地域をひと通り歩いたことになる。
 三ヶ月経って、まだまだ痛々しい被災の跡が目立つものの、大津波の爪痕もかなり癒え、復興の兆しが見えてきたように感じる。宮古の市街地と言えば、長大な堤防を乗越えてどっと流れ込んだ黒い海水が、市役所前の国道の歩道橋の下をクルマを巻き込みながら濁流となって奔る、そんな情景が眼に焼き付いている。しかし今は、沿道の建物群に被災の跡が生々しく残るものの、ガレキもほぼ片付いて、幹線道路は普通にクルマの列も出来ている。まだまだ復興には様々な困難が残されているはずだが、あちこちで建物の修繕も始まっていて、さあ、これからだと言う地元の人々の心意気が伝わってくる景色だ。
 重茂半島 姉吉地区を訪ねた。 1933 年の昭和三陸大津波の後、ここに集落移転した先人達が海抜約 60m の場所に石碑を建て、再び被災しないよう子孫に警告している。今回の津波もこの石碑のすぐ下まで押し寄せて止まった。浜からそこまで山肌は削り取られ、岩肌がむき出しになってその激しさが想像される。坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。重茂の本村はより大きな集落だが、漁協センター等の施設もろとも、やはり高地に移転している。子孫を守った先人の知恵と決断、実行力に脱帽。こうした先例にぜひ学びたい。
 巨大な防波堤で有名な田老地区は大堤防のみを残してすべて破壊された。被害は甚大であり、ガレキ等はほとんどなくなったものの、マチを同じ形に復旧することは考えられないことだろう。
 ここから青森県八戸市までどの地区も被災しているが、その程度がいくらか小さいように感じられるのは、県南に較べて相対的に津波の規模が小さかったのと、どこも巨大な防潮堤を備えていて、一定の防災効果を発揮したこともありそうだ。
 そのため復旧はより進んでいるように感じられるが、とにかくそのペースを少しでも早めていきたいと思う。
 今日5日、松本復興相が舌禍により辞任。2日夜の新幹線の移動の車中で大臣と遭遇。復興のありかたに関してしばし意見を交わした直後のことであり驚いた。ともかくも僅か9日での辞任は残念である。
 本日、政府に対し、ビジョンチームとして復興土地利用の前提条件整理に関する提言を行った(民主党 HP 参照(別画面が開きます))。引き続き、土地利用再編について提言すべく、作業を進めたい。

2011年6月27日月曜日


大震災に備える

 
 東日本大震災の発生以来 100 日余りがたちました。これまでご報告してきた通り、私は与党の復興ビジョンチームのメンバーとして,また以前から防災都市計画に携わってきた立場から、この間被災地の復旧・復興に取組んで来ました。去る6月 20 日には復興特別委員会の一人として関わってきた「大震災復興基本法」が可決成立しました。じれったいほどのペースですが広域かつ多面的な被災の状況から無理からぬ面もあります。国会では引き続き復興特区の具体化など特別措置法の検討を始めており、今後、本格的な復興が加速させなければなりません。

 大震災発生以来、東北の被災地にしばしば足を運んでいます。6月上旬に訪れた牡鹿半島は最も深刻な被災を受けた地域のひとつ、半島の拠点、女川市街地は破壊されたまま、かなりの部分が水没しています。先端の鮎川まで石巻からクルマで一時間ほどの道筋、半島のせいか復旧のペースは遅滞しており、繰り返す浜と言う浜、どこも津波で本当に徹底的な破壊を被っています。かつての美しい浜の連なりはすっかりその面影を失っていますが、高いところからふと見ると、ガレキの広がる平地を隔てた湾に漁船がいくつも浮かび、整然と舳先を並べてすでに漁に勤しんでいます。まさに不屈の漁師魂、復興へ向けて自立への強い意志を感じる風景が広がり始めていました。

 さて、千葉県の問題ですが、今回の大震災を人ごととせず、来るべき首都直下地震に備えるべき時です。地球の歴史を見れば、巨大地震は往々にして兄弟地震を伴っています。わが国においては 150 年ほど前の安政の時代に東海、東南海と江戸の大地震が,また太平洋戦争末期には東南海、三河、南海地震が続いて起き、多大な被害を被りました。世界的には、最近では 2004 年 12 月26 日 、 インドネシア で起き Mw9.1 のスマトラ島沖地震から4ヶ月後、 2005 年 3 月28 日 、約 250km 離れた震源で Mw8.6 の地震が発生したことも忘れられません。
 わが千葉県も今回、津波や液状化等、大きな被害を被り、印旛地域でも利根川沿岸や印旛沼周辺等で液状化が起きました。かつて、元禄の大地震の際、九十九里浜等で、津波により六千人余の人命が失われたこともあります。近い将来,首都圏直下型や首都圏北部等で大地震の起きることが危惧されています。かつてとは異なり、密集市街地も広がっています。この機会に今回の災害に学びつつ危機管理を徹底し、地域で暮らすみなさんと共に危険をチェックし、しっかりと備えを充実して行かねばなりません。

2011年6月9日木曜日


本日、「東日本大震災復興基本法」が復興特別委で可決

 
 本日、「東日本大震災復興基本法」が復興特別委で可決され、明日、衆議院を通過する。来週中には参議院でも可決され、成立する見通し。
 先週末、不信任案提出で一時滞ったものの、3週間に渡ってほぼ連日、集中的に審議してきた。ようやく野党との調整も整い、民自公の支持のもと、最終案を委員長提案と言う形で可決(反対は共産、みんな)した。
 本法をベースに本格的な体勢が整い、被災地域における復興が加速することを心から期待する。
 この間、毎週、東北に通っている。自分の目で現地の様子をしっかり見ることから取組を始めたい。やはり実際見てみないと発想がどこか中に浮いた感じで自信が持てない。フィールドをまず大事にする、それが地域づくりの原点と信じ、議員になる前からずっと続けてきた。被災地を見て回るのは確かに気が重いが、だから一層、フットワークを効かせて、言わば通い詰めてきた。今は地名を聞けばかなり細かな地域の情景が浮かび、復活に向けての意欲をいくらかでも共有できるようになった気がする。
 去る6、7日、国土交通委員会で被災地の視察。
 前回からひと月経過し、駅跡から見下ろす南三陸町は、ずいぶん乾いてきているように感じられる。だが、いくらか減りはしたものの、相変わらず見渡す限りガレキの山で、人の気配が感じられない不思議な世界にいるような感覚に襲われる。とにかく避難している住民のみなさんと共に早く復興に取りかからねばならない。
 仙台港周辺は生魚が腐敗しているのか異臭がきつい。破壊された大型コンテナが所狭しと並べられて、ガントリークレーンも足元から塩に漬かったため使えない。間もなく暑い季節がやってくる。港の機能回復や清掃を急ぐ必要がある。野党の理事諸議員といくつかの風景を共有し共通意見の交換も出来た。
 今国会も残すところ会期はあとわずか。政府においては復興構想会議において復興のあり方の検討が進んでいるが、私は党の復興ビジョンチームを通じて提言すべく、全力を注いで行きたい。

2011年6月6日月曜日


態勢を確立して復興加速の機とす

 先週の不信任案をめぐる一連の経過の中で菅総理の早期退陣が流れとなった。大震災復興を急ぐべき立場からは早い方がいい。任期途中の交代だから通常なら両院議員総会の決定事項だが、党員サポーターの登録と合わせて
代表選という道筋も考えられる。この間、主張してきたように挙党態勢を作るよい機会だ。それまでに現政権に速やかに一定のメドをつけてもらえばいい。そのことが国を挙げて復興に当たるための一番の近道である。
 ようやく少し時間ができたので土、日曜、ひとりで女川、相馬を回ってきた。がれきのむこうの湾では漁船が並んて操業を始めるなど地元の心意気が強く伝わってくるが、町の方は大破し、横転した建物が累々と浸水した海水に浸かっており、復興は容易ではない。
今日、6日、7日と国土交通委員会で宮城県の視察。復興プランとその実施は一刻を争う。

2011年6月2日木曜日


菅内閣不信任決議案否決について
 本日の本会議において、菅内閣不信任決議案は、賛成 152 票、反対 293 票で否決されました。直前までその結果については予断を許しませんでしたが、結果は下記の通りとなりました。
 本会議に先立ち、総理出席のもとで代議士会( 1 時間、通常 15 分程度)が開催され、総理から大震災と原発対応のメドがつき次第、辞任するとの発言があり、それ受けて、不信任案否決が大勢となりました。採決はこの結果を反映したものです。
 昨日、 51 名の衆議院議員の署名をもって党執行部に要求した、「両院議員総会開催」と「政権運営の刷新による内外の人心の一新」がこのような形で実現したことをひとまず喜びたいと思います。
 これを機会に民主党の結束が強まり、震災対策等の取組を一丸となって進められることを期待すると共に、今後の政権運営のあり方についても積極的に関わって行きたいと考えています。
<採決の結果>
総数 478
欠席・棄権 33
------------------
過半数 223
------------------
反対 293
賛成 152
今こそ民主党の正念場
-排除の理屈を排す -
 2003 年9月、二人が舞台に立ち、歩み寄ってしっかりと手を握り合った。会場から満場の大きな拍手が沸き起こった。歴史を開いたふたりとは他ならぬ菅直人氏及び小沢一郎氏である。この光景を目の当たりにして、近い将来、政権交代が成就すること、新たな時代の政治を実現できることを私は確信した。 2003 年の党大会は希望と熱意に満ちていた。誰もがこの瞬間、同じ熱い思いを共有し、また多くの国民が新生民主党を支持し、期待を抱いた瞬間だった。
 その年の初頭に私は民主党に入党した。それまでどの政党にも属さずに活動をしていたので、政治の大先輩である多くの先生から御指導賜わり、大変にお世話になってきた。その誰もが同じ政党に大同団結し、次の時代を目指そうという。不肖、私もここに骨を埋めるつもりで精一杯頑張ろうと心に誓い、今日まで過ごしてきた。
 以来 8 年、様々の経緯を経て、民主党は今日、岐路に立たされている。確かに、大きな時代の曲がり角を曲がるにはそれなりの曲折と時間が必要である。明治維新を振り返れば大政奉還を境に往って復って 40 年を要した。明治に入ってからも動乱が続き、その中で西南の役をはじめ、多くの歴史的悲劇が生じ、それがわが国のその後に大きな禍根を残すこととなった。歴史の時計を逆に回すことはできない。今こそ原点に戻ることが大事だ。改めて新民主党結成の精神を帰り、政権交代の立脚するところに返るべき時である。そのことが国民の期待に応えるただひとつの道である。
 今、わが国は東日本大震災により未曾有の危機に瀕している。被災地では多くの同胞が言葉を絶する苦難の日々を強いられている。一刻を惜しみ、全力で復興に当たるべき時である。言うまでもなく大震災の復興はすべての党所属議員が一丸となり、党の総力を挙げて取組むべき使命であり、特定の個人の役割ではない。そのことを旨として、誰もが思い切り力の揮える党の再生を図るべき時である。
 このような立場から、私は他政党に与して民主党を割る危険を冒すことを是としない。党が自ら体制を一新し、人心を改め、挙党体制を確立して日本の再生に邁進することを強く求めて行きたい。
民主党千葉第 13 区総支部 総支部長
衆議院議員  若井 やすひこ
※ 昨日、同志 51 名を代表し、 10 名で同主旨を党執行部に申し入れました。

2011年5月25日水曜日

白井市長選、井沢ふみお氏が当選
 さる5月 22 日投票の白井市出直し市長選は、元市部長から転身した井沢ふみお氏が当選しました。
 この結果、2年半前、市民のみなさんと共に誕生させた横山市政は任期途上でピリオドを打つことになりました。マニフェストを掲げて市政改革に取組み、数々の成果を上げてきた横山前市長が、志半ばで退場を余儀なくされたことは心残りでもあり、また、市民の支持をまとめ切れなかったことは残念です。この上は心機一転、新たな舞台でさらなる活躍をされることをお祈りします。
 白井市政は新たな局面を迎えることになりますが、時代は大きな曲がり角、地域主権の立場から、一段落するニュータウン事業や鉄道の問題、高齢化の進展等の地域課題を解決し、白井市をさらに発展させるために、井沢新市長の安定した舵取りを期待します。

2011年5月23日月曜日

5/20に設置されました「衆議院 東日本大震災復興特別委員会」の委員となりました。
現在の衆議院での所属委員会は下記の通りです。
 ・国土交通委員会 理事
 ・国家基本政策委員会 理事
 ・沖縄および北方問題に関する特別委員会 委員
 ・東日本大震災復興特別委員会 委員

また、党の役職は下記の通りです。
 ・政策調査会副会長(国土交通・農林水産担当)
 ・東日本大震災復旧・復興検討委員会復興ビジョンチーム 副座長
東日本大震災特別委員会の委員に就任
 5月 20 日、ようやく大震災復興特別委員会が発足、復興基本法に関わる審議を開始した。復興については4月以来、何度か現地の足を運び、緊急提言を行ってきた。また、民主党の復興ビジョンチームの副座長として検討を重ねてきたが、いよいよ具体的な立法と執行に関わることとなる。
 今回の震災には三つの局面がある。三陸大津波、福島原発事故、そして内陸部でのハイテク産業被災。この多様かつ複雑な復興課題を一刻も早くかつ総合的に克服し、被災者のみなさんの暮らしの安心・安定を取り戻し、新たな東北の再生を図りたい。
 特に、福島のみなさんにとっては災害はいまだ続いており、収束の見通しが立っていない。まず何よりも原発の安定化を実現し、放射能汚染の状況を改善する道を開かなければなりません。
 かつて防災都市計画の策定に従事した経験を生かし、今回は復興委の委員として、党派を越え、基本法を成立させることに全力を注ぎ、地域社会の本格的な復興と再生に寄与して行きたい。
 

2011年5月12日木曜日

東日本大震災、復興に取組む
-8項目の第一次提言-
 東日本大震災発生以来、2ヶ月がたちました。25,000名に及ぶと見られる犠牲者の方々にお悔やみ申し上げます。原発の問題もあり、順調に復興が進んでいるとは言えません。
 この間、私は3月末には一刻も早い復興のための8つの緊急提案を党及び政府などに行いました。一方、党においては復興ビジョンチームの副座長としてこの問題に取組み、数次にわたる現地調査、関係者からのヒアリング、識者からの提言を得つつ、去る4月30日、政府に対し、復興課題について8項目にわたり第一次提言を行いました。
 
  4月後半から毎週、被災地に通っています。3度にわたり東北へ、また連休には長野県栄村、千葉県旭市飯岡地区、浦安市、香取市、茨城県潮来市等を視察してきました。どの被災地も深刻なダメージを被っていますが、特に広汎に巨大津波で被災した岩手、宮城、福島三県の海岸地帯の状況は言葉を失うばかりでした。報道で理解しているつもりでしたが、想像をはるかに超える惨状はまさに目を覆いたくなると言わざるを得ません。
 
  こうした被災地のただ中で、家族を失い、家や仕事場を失った多くの方々が日々を送っています。この現状を一刻も早く解消して、再び人間らしい暮らしと希望を抱いて取組めるしごと、地域社会の回復を実現できるよう、自らの持ち場において、引き続き全力で取組んでいく決意です。具体的な復興方策については順次、ご報告していくつもりですが、みなさまからのアドバイスもよろしくお願いします。

2011年5月9日月曜日


市民の皆さんが誕生させた! 
横山くがこ さん
-市政をこれからも発展させよう!-
 2年半前に市民のみなさんが力を合わせて誕生させた横山市政が、今、岐路に立たされています。この間、 梨ブランデー会社の清算をはじめ、市政の根幹に関わるいくつもの成果を挙げてきたにもかかわらず、鉄道 運賃の問題を巡る議会との確執の中で、今回の市長選となったことは甚だ残念と言わざるを得ません。

  確かに北総鉄道の運賃水準が高いことは事実であり、粘り強くその逓減を図るべきですが、企業負担のみ によって大幅値下げ実現を要求するには無理があり、また今日、自治体が住民の足の確保のために民間鉄道 事業に財政支援をしている事例はつくばエクスプレス等の例にみるように少なくありません。
  スカイアクセスが開通して約一年、その実績が具体的に数字として見えてくる時期でもあります。こうし た条件の変化を織り込みながら、県・関係市及び事業者による協議を前に進めるべき時です。
  白井市のみがテーブルにつくことなく協議は滞ったまま、こうした現状を横山市政をさらに発展させるこ とによって打開し、市民のみなさまのご理解、ご支援を得ながら、さらに取組を前進させなければなりませ ん。議会と行政が一体となって市民の暮らしを豊にする、そうした市政を是非、市民のみなさまのお力で実 現して下さるよう、民主党からも心からお願いします。
  なお、諸般の事情から党としての推薦は見送らせて 頂きますが、2年半前、横山市政誕生を担った立場から、今回も変らずに支持させて頂く所存です

2011年4月30日土曜日



支持者、支援者、すべてのみな様へ

-統一地方選の総括-



 去る4月 10 日に県議選、 24 日に市議選が行われました。すべての支援者のみな様にお力賜り、ありがとうございました。

 千葉県 13 区ではこの統一選を全力で戦いましたが、民主党にとって大変厳しい結果に終わりました。新人候補を中心に 13 区において県議2名、市議7名を公認、また県議1名、市議1名を推薦し、相当の決意をもって臨みましたが、現職市議3名のみ当選、現職県議、市議各一人が落選、という残念な結果に終わりました。責任を痛感し、真摯に反省するとともに、すべての支援者、支持者のみな様にはまことに申し訳なく、心から謝罪する次第です。



 今回の統一選においては昨年3月以来、候補を公募、総支部幹事会を通じて選定し、準備を進めてきました。しかしこの間、民主党政権をめぐる環境の激変等、内外の状況は激変し、さらに折しも東日本大震災が発生、途上、候補が一時帰郷を余儀なくされるなど不測の事態も生じ、戸惑うことも少なくありませんでした。そうした非日常的な雰囲気の中で、紆余曲折こそありましたが、何とか選挙戦を進めてまいりました。



 今回、このような不本意な結果に終わりましたが、これを謙虚に受け止め、改めて民主党活動を建て直す所存です。所期の目標を達成できなかった仲間とともに、早急に今後の方向について見定めていかねばなりませんが、日常活動をよりしっかりと、一歩一歩、確実に進めていく以外にないと考えています。今後とも支持者、支援者、すべてのみな様のご理解と、より一層の叱咤激励を心からお願いします。



開票結果はこちら(別ウインドウが開きます(PDF))

2011年3月20日日曜日




立場を超え、渾身の力を振るうべき時だ

3.11 東北関東大震災に直面して


 3月 11 日、これまで体験したことのない規模の大震災がわが国を襲いました。特に東北・北関東で死者・行方不明が 2 万人を超え、被害は想像を絶しています。 被災されたみなさん、関係者のみなさんに哀悼の意を表し、またお見舞い申し上げます。さらに福島原発では 4 つの原子炉を中心に致命的な打撃を被り、予断を許さぬ状況が続いています。


 壊滅的な打撃を受けた地域の復旧、復興には膨大な資金と労力が必要です。日本の経済も測り知れないダメージを被り回復には多くの時間を要することが予想されています。まさに未曾有の国難、国の総力を挙げ、すべての国民が力をひとつに合わせて正面から取り組むべき時です。国が完全に復活するには幾多の曲折も予想されますが、それを乗り越えてもう一度、新たな国を作り直す決意で取り組まねばなりません。


 政権交代後一年半、もちろん民主党にとってはまさに正念場であることは論を待ちません。しかし、それ以上に、特に政治に関わるものは誰もが立場を超えて、持てる力のすべてを、渾身の力をわが国の再生に向けて振るうこと、まさに「国民の生活が第一」こそ与えられた共通の使命であると考えます。


 私は現在、国土交通委員会及び国家基本政策委員会の理事を務めています。現在、議員が個々に被災地に入ることは差し止められていますが、対策本部も立ち上がり、現地の最小限の条件が整い次第、現場主義で地域の復旧、復興に力を尽くしたいと準備を整えつつあります。


 かつて私は、防災都市計画を業としていました。阪神淡路大地震の際にも現地に駆けつけました。しかしそれにも増して今回の地震と津波、原発被災の様相は想像のレベルをはるかに超えています。が、ひとの命を助け、くらしと経済を立て直すことが第一義であることは変わらない。必ずや地域の復旧、復興を実現することができると確信しています。


 私を国会に送っていただきましたみなさま、よろしくご支援、お願いします。

2011年3月17日木曜日

この度の東日本巨大地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

11/03/17

東京電力が、「電気料金等の特別措置」を発表。詳細は、ここ をクリック(別画面が開きます)。

千葉13区内では、柏市、印西市、富里市、栄町が対象エリアです。

2011年3月14日月曜日

千葉県13区内における交通情報、ライフライン情報などにつきましては 「千葉県防災ポータルサイト」ここをクリック。別画面が開きます)などをご覧ください。



現在、計画停電が実施されています。東京電力のWEB(ここをクリック。別画面が開きます。つながらない場合は、ミラーサイトも利用可」)、経済産業省のWEB(ここをクリック。別画面が開きます。)、下記各市町のWEBなどをご覧ください。











只今、民主党では、義援金をお願いしております。詳細は下記バナーをクリック下さい(党本部にリンクします。別画面が開きます)。郵便振替、銀行振込、クレジットカードで行えます。なお、お預かりしました義援金につきましては全額被災支援活動にお届けします。

2011年1月25日火曜日

<終了しました>

お陰様をもちまして下記催し、無事終了いたしました。ご来場いただきました多数の皆様、また種々ご高配を頂きました皆様に感謝致します。ありがとうございました。



下記の日程にて、「若井やすひこ新春の集い2011」を開催致します。ご参加のほどお願いいたします。


日時 2011年2月23日(水) 
    18:30~(開場18:00)

開場 船橋グランドホテル 2階 黄金の間
    千葉県船橋市本町7丁目11-1(地図
    電話:047-425-1121

会費 1万円

ゲスト 細野豪志 衆議院議員(予定)
         (内閣総理大臣補佐官)

    

お申し込み・お問い合わせは若井康彦事務所 
電話:047-443-5558

※この催しは政治資金規正法第8条2に規定する政治資金パーティーです。

2011年1月24日月曜日

第177回国会(常会)が、 平成23年1月24日に召集されました。


会期は150日、6月22日までです。


所属委員会は下記の通りです。

・国土交通委員会 委員

・国家基本政策委員会 理事

・沖縄および北方問題に関する特別委員会 委員


また、党の役職として、下記の役職に就きました。

・政策調査会副会長(国土交通・農林水産担当)